【モスクワ追悼】第4日目③-ユーゴザーパド劇場『どん底』を観劇!
- 2017/07/17
- 22:29



5月31日(水)、ベリャコーヴィッチ氏のお墓参りを済ませた一行は、劇団員の車でユーゴザーパド劇場へ戻りました。
開演まで時間があるので、地下のカフェで名物のアイスクリームを食べながら時間を過ごしました。
今夜観劇する作品は、マクシム・ゴーリキーの『どん底』です。
この作品はゴーリキーの代表作であるとともに、近代劇の中でチェーホフ作品と並ぶ名作と呼ばれています。
♪日が昇ろうと沈もうと 牢屋は暗い
昼でも夜でも見張られて 逃げはしたいが鎖は切れない
ああ この鎖わが鎖 おいらにゃ切れない 鉄の鎖は断ち切れない
と劇中歌で唄われるように、20世紀初頭の帝政ロシアの極度の経済危機で、困窮を極める庶民たちの姿を描いた作品です。
ある貧しい宿には、泥棒、自称男爵、イカサマ師、元役者、娼婦など人生をあきらめた人々が暮らしています。仕事もない、金もない、あるのは暗い寝床と歌だけという状況です。
そこへ巡礼者ルカが現れて「希望」を解き始めたことから、様々な人間模様が立ちあらわてきます。
ゴーリキー自身、幼い時に両親を失い、くず拾いなど過酷な労働生活を続けた体験の持ち主です。24才の時に独学で学び小説『マカル・チュドラ』でデビュー、先輩作家チェーホフの勧めで戯曲を書き始めました。34才の時に『どん底』を発表し、モスクワ芸術座で上演され、文壇で不動の地位を獲得します。
『どん底』ははっきりとした主人公やストーリーがありません。いわゆる群集劇で、作品の表面は騒々しくてエネルギッシュな雰囲気と笑いに包まれていますが、底辺に流れるのは無気力な絶望があります。その点、チェーホフ作品の影響を感じさせます。
この作品は、貧しい宿屋に集う人々の人物描写が完璧と言われており、死・恋・殺人・自殺がある中で、人間のありとあらゆる感情が描かれています。
日本においても近代劇の草創期に上演されています。
日本での初演は、8年後の明治43年(1910)に自由劇場第三回公演として上演されています。翻訳・演出は小山内薫、出演は二世市川左団次、二世市川猿之助、市川寿美蔵、市川荒次郎ほか、劇場は東京・有楽座です。
まだ、近代劇の俳優がいなかったので、歌舞伎俳優が出演する舞台になっています。このような座組が大正11年(1922)まで続き、大正13年(1924)にやっと近代劇の俳優が育ち、築地小劇場第13回公演として、千田是也、汐見洋、友田恭助、青山杉作、丸山定夫、山本安英ら新劇俳優による上演を行っています。
『どん底』は日本では、歌舞伎俳優から新劇俳優へ、近代劇の誕生の目撃者とも言える作品なのです。
初演のモスクワ芸術座の演出は、写実的な宿屋の舞台美術と自然主義の演技でした。しかし、ベリャコーヴィッチの演出はイントレで組んだ二段ベッドを斜めに複数置いただけの舞台美術です。喧嘩や喧騒のシーンでは、俳優たちが舞台狭しと走り回る中、管楽器が鳴り響く癇に障る交響曲が流れます。そして、死と殺人のシーンでは一転して、木管楽器による天上をイメージするインストゥルメンタルになります。
場面転換では、木賃宿の住人たちが“どん底”から抜け出せない様をイメージするように、様式的な動きでベッドの上で大きく寝返りを打ちます。
木賃宿の大家コストゥイリョフが殺されるシーンも写実ではなく、様式的に形を決めて観客にイメージさせます。特筆すべきは、ラストで巡礼者ルカの言葉を信じて、新しい人生を踏み出すために別の町へ旅に出た元役者が、空き地で首を吊ったとわかるシーンです。
原作ではそれを目撃した人物により報告されますが、ベリャコーヴィッチ演出では、元役者を演じる俳優自身が自殺したことを知らせに登場します。
果たしてこの人物は、元役者の霊なのか、貧者たちの象徴なのか、夢を信じた者たちの幻影なのか、実は元役者は死んでいなかったのか…判断は観客に委ねられています。
劇中で前科者サーチンが叫ぶ台詞――
「に・ん・げ・ん、こいつは素晴らしいものだ。人間は憐れむものじゃない。尊敬すべきものなんだ。人間は、食うために働くんじゃねぇ。人間はもっと高尚なもんだ! 」
[リンク]アビーロフが演じるのサーチン
このように、人間とは? 生きるとは? 真実とは? 救いとは? …劇中では騒々しい中でこれらのことを人物たちは語り合います。
この作品は最後には、希望を見出しかけた人が自殺して終わる暗い話ですが、劇場の客席は満員で、カーテンコールでは「ブラボー!」の声が掛かっていました。
ロシアの人たちが熱狂的に、この作品を受け入れている姿に、日本とは違う「演劇の役割」がここにはあると感じました。
そんな観客席に身を置いていると、もしかしたら、演劇には「世の中を変える力」があるのではないかという、“希望”を抱きました。
しかし、劇中の元役者が救いを求めた挙句に自殺した結末を考えると、“希望”を抱くことは命がけで、そうそう簡単なことではないとも思いました。
(八木延佳/教務主任)
※写真上より、「『どん底』パンフレット」「ベリャコーヴィッチ氏の写真が飾られた劇場ロビー」「カーテンコール」。
※ロシアでは、カーテンコールの写真撮影や花束贈呈はOK!
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